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updated on 2 April 2001

ラース・フォン・トリアー 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を語る

 

 ミュージカルを撮る。なんてシンプルな響きだろうか。

これは私がずっと心に抱いてきた夢だった。

しかし、いったいどうやって作ればいい? そう悩むたび、

子供の頃テレビにかじりついて見た、ジーン・ケリーのミュージカルを

思い浮かべた。あの時のワクワクした気持ちをよみがえらせるために。

ケリーの作品は何度見ても褪せぬ魅力に満ちており、自分も観客を

高揚させる、そんな作品を撮りたいと考えていた。今ではミュージカル

を見ることはほとんどないが、子供の頃は本当によく見ていた。

もちろん私の両親は共産主義者で、ミュージカルなどというものは

アメリカの生み出したカスだと言っていたが・・・・・・。

 

 ミュージカルはメロドラマの範疇に入るのだろう。だが私が少年期に

見た作品は、涙にむせぶようなヘビーなものではなかった。たとえて

言うならオペレッタと言ったところだろうか、常に軽さがついて回る。

つまり、人の心に深く入り込むような要素がほとんどないのだ。

見始めた頃の作品は、どれも軽くふわっと楽しめるものばかりだった。

その後に出現した傑作が『ウエスト・サイド物語』だ。

あれはドラマティックな要素の強い作品だった。

 

 オペラとオペレッタの違いは、ヘビーな要素があるかないか。この観点

から見た場合、『ウエスト・サイド物語』はオペラで、『雨に唄えば』は

オペレッタだろう。後者でもデビー・レイノルズがキャリアの瀬戸際に

立たされるが、それはヘビーな要素とは言えない。ミュージカルでは

事件らしい事件は起こらないのが普通だ。私は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

をオペラのようなシリアスな作品にしたいと願っていた。

何年か前までは、観客は実際にオペラの舞台を見て泣いたものだ。

様式化されたものの中に、人の心の琴線を震わせる何かがあるのだろう。

紙の短剣で殺された登場人物のために泣ける・・・・・・

私もそんな経験をしてみたい。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で、ストーリーからミュージカル・ナンバーへ

移行する際に使ったトリック(セルマが空想の世界に入り、その中で歌い踊ること)

は、それほど画期的なものだとは思っていない。セルマは空想好きであり、

日々の雑音の中に音楽を見いだす長所を持っていたという設定は

自分でも気に入っているが、曲の中に生活音を取り入れたことや、

いきなり歌い出すという形式を取らなかったことは、ミュージカルの

王道からは外れていると思っている。突然音楽が鳴り響くと、雰囲気が

『ザ・マペット・ショー』(ミス・ピギーやカーミットなどの

操り人形がでてくるアメリカのバラエティー番組)になってしまう。

つまり、そこまでのストーリーや感情の流れから切り離されてしまうのだ。私は

登場人物たちの感情を歌によって分断されたくなかったので、

前述したようなトリックを使った。それがうまく機能してくれるよう願っている。

 

 この映画はミュージカル・シーンとドキュメンタリー的なシーンの2種類で

構成されている。ドキュメンタリー・スタイルをミュージカルと組み合わせたら

面白いのではと思ったからだ。ただしミュージカルへの憧れから撮り始めた

作品なので、スタンダードな部分を壊すつもりは毛頭なかった。

生の感情(エモーション)をより濃く取り入れることにより、作品をより

情感豊かにしたかっただけである。エモーションと音楽のミックスは

実に麗しいカクテルを作り出すのだ。そしてもうひとつ、シリアスな

ミュージカルにしてみたいという思惑もあった。ジーン・ケリーも

ある程度、それを試みたことがあるし、『ウエスト・サイド物語』

はシリアスそのものだった。多くのミュージカルは楽しいショーで終ってしまうが、

私はミュージカルで深いドラマを描くことは可能だと思っている。

 

 手持ちカメラやビデオのテクニックをミュージカル・シーンの撮影に応用する

ことにより、ライブ的な効果が高まった。1台のカメラでひとつのシーンを撮るので

なく、固定式のカメラを数多く用意して撮影を行ったおかげで、作り手の

側がシーンに干渉せずに済んでいる。多くの固定カメラで撮影することにより、

手持ちカメラでの撮影と同じような効果が生まれたのだ。これが

ダンス・シーンで『奇跡の海』や『イディオッツ』のような”型にはまらぬ”

映像を撮るための第一歩だった。もちろん完成された方法というわけではなく、

どちらかというと最初の試みのようなものだったが。しかし100台の

カメラのおかげで、ストーリー・ボードにそって1台のカメラで撮影したのでは

捉えられなかったであろう”黄金のような瞬間”の数々をものにできた。

我々は実際に100台のカメラを使ったのだが、もう100台あってもよかった

と思っている。このテクニックのおかげで、抑えた費用で質の高い

映像を撮ることができた。あるダンス・シーンは100台のカメラを使い、

2日間で撮り上げた。同じシーンをストーリー・ボードを用いながら1台の

カメラで撮影したら、おそらく2週間かかっただろう。

 

 もっと以前、つまりキャリアが浅いうちにミュージカルを撮ったとしたら、

おそらくドリー・ショットやクレーン・ショットを多用する正統派路線を

選んだだろう。映像と音楽の融和をはかるなら、そういう撮影方法を

採るほうが理にかなっている。だが今の私は自分自身にさまざまな注文を

つけることがクセとなっている。それで「いや、やり方を変えて固定カメラだけで

撮ってみよう」と考えた。より多くのすばらしい映像をとらえ、作品から

作り物的な印象を減らすために。映画というよりライブ・パフォーマンス

に近くなったと言える。たとえばコンサートで誰かが歌っている映像を見た

としよう。ぐっと引き込まれるはずだ。なぜなら、それは

あとから編集されたものではないと肌で感じるせいである。

映画の観客は最初から作られたものを見るつもりでいるため、

直接的な映像を好まない。しかしこれまで私が目指してきたものは、

その直接的な映像のほうに近い。すべての歌とダンス・ナンバーを

ライブ形式で撮影し、ミスもそのまま残せたとしたら最高だったろう。

最初、ビョークは歌をライブで録音しようと提案したが、残念ながら

障害が多すぎて実現できなかった。

 

 音楽スタイルは私とビョークの衝突から生まれた。ビョークは

音楽を熟知した人、そして映画は、かつて私が大好きだったミュージカルと

同じ作品を愛する女性の物語だ。ミュージカルを作る場合の一番の問題点は、

当然ながらどのような音楽を使用するかということであるが、私には

まったくアイデアがなかった。そこでビョークが登場する。

彼女が作った曲を私は非常に気に入った。最初のうちは馴染めない曲も

あったが、聴くうちに心の底から惚れ込んだ。音楽はこの作品にとって

大きなウエイトを占める。ビョーク以上のパフォーマーは望み得なかった

であろう。クランクインの前日、私は彼女のスクリーン・テストをし忘れた

ことに気づいたが、心配は無用だった。カメラの向こうの彼女は素晴らしかった。

あれは演技ではなく、魂の叫びだったと思う。

 

 異なる文化、多様な人々、さまざまなアプローチが絡み合うと映画は

面白くなる。カトリーヌ・ドヌーブは手紙で出演を打診してきたので

「ぜひ」と答えた。彼女にビョークの親友役を割り当てるのは

当然だったと言えよう。ある種、異質なペアだが、私は気に入っている。

ミュージカルはアメリカ製のものがほとんどだが、ヨーロッパでも

いくつか作られており、その中にはドヌーブが主演したものも

ある。実際、私は彼女の主演作品にも影響を受けた。

 

 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の舞台はアメリカにした。

理由はミュージカル発祥の地であることと、私自身がこれまで一度も訪れた

ことがなく、また今後もおそらく行くことはないであろう国だからだ

(私は飛行機に決して乗らない)。アメリカは私にとって神話の

国である。撮影はスウェーデンをベースに、アメリカらしく見える場所を

探して行った。これは実際にアメリカでロケをするよりも面白かった

と言える。私の脳裏には常にカフカの『アメリカ』があった。カフカも

またアメリカへ行ったことはなく、彼は小説の冒頭部、ニューヨーク

の港へ入る場面で、大きな剣を持つ自由の女神像を描写している。

実に詩的ではないか。

 

 デンマーク国民のほとんどは死刑に異を唱えるだろう。これは

デンマーク人が心優しい民族だからではなく、スカンジナビア系の

人々にとって死刑は馴染みの薄い制度であるというだけのことである。

刑罰はどんなものであれ不合理だと思うが、社会を機能させるためには

欠かせないのだろう。しかし、死刑は刑罰というより復讐の色合いが濃い

ように思われる。そういった要素を含むものを国家が認めるというのは

危険なことだ。ゆえに私は死刑に強く反対する。

だが一方で処刑シーンは神が監督に与えた贈り物と言える。

殉教者なら死なねばならぬため、実に効果的な映像が撮れるのだ。

 

 セルマの死刑、そして失明は、作品のメロドラマ的な側面だ。

ビョークに送った最初の脚本にはセルマの失明という設定は盛り込まれて

いなかった。だが、そのあとで私はとてもよくできたアニメを見る

機会に恵まれた。1930年代に作られたワーナー・ブラザーズの

作品で、ある警察官が人形を見つけ、恋仲にある女性の娘に

プレゼントする。幼い少女は階段に座ってその人形で遊んでいるが、

ふとした表しにそれを落とす。すると少女は下を見ることなく手で辺りを

探り、人形を拾い上げるのだ。たったそれだけのことで観客は

その少女が盲目であることが分かる。洗練されたすばらしい描写だった。

 

 少女は母親の顔も街の様子も見ることなく、さまざまな音に囲まれて

暮らしているという設定は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のそれに

近いものがあった。少女の空想の中で人形は生命を持った存在となり、

少女を連れて世の中を見て回る。少女は地下鉄の騒音からジェットコースターを

連想し、ニューヨークのスラム街に咲き乱れる花園を作り出す。

そして母の顔をイメージするのだ。見る者の涙を誘う美しい作品だった。

 

 仕事に打ち込めば打ち込むほど、作品に投影される自分の色は

薄くなっていくように感じている。登場人物やそれを演じる俳優たちと

いっしょに作品を掘り下げていくと、映画ではなくドキュメンタリーを

撮っているかのように思えてくるのだ。何かを作るのではなく、既に

そこにあるものを探っていくと言ったらいいだろうか。

映画作りとは私個人を描くことでも、私の小さな脳みそで考えた出来事を

描くことでもない。おそらくもっと深いことなのだ。