« コンスタンティン | メイン | 「僕の彼女を紹介します」・・・って「誰」に向かって言ってるんだよ »

2005年05月03日

冬のソナタにただ涙

『冬のソナタ』(製作・演出:ユン・ソクホ 出演:チェ・ジウ、ペ・ヨンジュン、パク・ヨンハ、パク・ソルミ)

☆☆☆☆☆

冬のソナタ』全20話を見終わる。
今頃こんなところに感想を記すのはまことに時宜を得ない発言であることは重々承知であるが、あえて言わせていただく。
泣いた。
ずいぶん泣いた。
ユジンが泣くたびに、チュンサンが泣くたびに、私もまた彼らとともにハンカチ(ではなくティシュだったが)を濡らしたのである。
『冬ソナ』は日本の中高年女性の紅涙を絞ったと巷間では喧伝されていたが、そういう性差別的な発言はお控え願いたいと思う。
五十余年の劫を経た老狐ウチダでさえ、「それから10年」というタイトルが出たところから(第三話の終わりくらいからだね)最後まで、暇さえあればむせび泣いた。
心が洗われるような涙であった。
「ユジン、戻り道を忘れないでね」
というところでは、頬を流れる涙を止めることができなかった。
ミニョン、おまえ、ほんとうにいいやつだな。
一方、サンヒョクが「ユジン、もう一度やり直さないか」と言うたびに、チェリンが「ミニョン、私のところに戻ってきて」と言うたびに、私はTV画面に向かって「ナロー、これ以上うじうじしやがると、世間が許してもおいらが許さないぞ」と頬を紅潮させて怒ったのである。
ともあれ、一夜明けて、われに帰ったウチダは、映画評論家として、この世紀の傑作についてひとことの論評のことばを述べねばならない。
私は自分が見る予定の映画については映画評というものを事前には読まないことにしている。
だから、『冬ソナ』について私がこれまで得た知識は、三宅接骨院の待合室でめくる女性誌の「ヨン様」関連記事だけであった。
さいわい、女性誌の提供する情報は、どのようなものであれ作品鑑賞上益するところも害するところも全くない(ということを今回しみじみ実感した。世にあれほど「情報的に無価値」な情報を提供するメディアが存在するということも驚嘆すべきことではあるが)。
女性誌の報じるとおり、ペ・ヨンジュンくんが本邦で「ヨン様」と呼称され、彼に関するいかなる貶下的コメントも熱烈なるファンたちから断固として排撃せられてきたその理由が私にはよくわかった。
それ以外に私はこの作品についての体系的批評というものを読んでいない。
唯一の例外は兄上さまから拝聴した「韓流ドラマ四つのドラマツルギー上の秘法」すなわち「身分違いの恋」(これは『初恋』についてのものであり、『冬ソナ』には適用されない)「親の許さぬ結婚」「不治の病」「記憶喪失」がドラマの綾となるという知見のみである。
しかし、私は今回韓国TVドラマおよび韓国恋愛映画に伏流するドラマツルギー上の定型が何であるかを確信するに至った。
それについてご報告申し上げたい。
それは「宿命」である。
宿命というと大仰だが、言い換えると「既視感」である。
「同じ情景が回帰すること」
それが宿命性ということである。
フロイトはそれを「不気味なもの」と名づけた。
重要なのは「何が」回帰するかではなく、「回帰することそれ自体」である。
わけもなく繰り返し訪れる「同一の情景」。
それに私たちは呪縛される。
同じ状況が意味もなく繰り返されるという事実のうちに私たちは人知を超えた何ものか、「神の見えざる手」を直感するのである。
「宿命」について、かつてレヴィナス老師はこう書かれたことがある。
宿命的な出会いとは、その人に出会ったそのときに、その人に対する久しい欠如が自分のうちに「既に」穿たれていたことに気づくという仕方で構造化されている、と。
はじめて出会ったそのときに私が他ならぬその人を久しく「失っていた」ことに気づくような恋、それが「宿命的な恋」なのである。
はじめての出会いが眩暈のするような「既視感」に満たされて経験されるような出会い。
私がこの人にこれほど惹きつけられるのは、私がその人を一度はわがものとしており、その後、その人を失い、その埋めることのできぬ欠如を抱えたまま生きてきたからだという「先取りされた既視感」。
それこそが宿命性の刻印なのである。
だから、どのような出会いも、作為なく二度繰り返され、そこに既視感の眩暈が漂うと、私たちはそこに宿命の手を感じずにはいられない。
『猟奇的な彼女』も『ラブストーリー』もそうだった。
『冬ソナ』は全編が「同一情景の回帰」によって満たされている。
そういう意味ではきわめて経済効率のよい脚本である。
なにしろ「同じ情景」が二度繰り返されると、みんな感動しちゃうんだから。
私だって、「その手はもうわかった」とうめいたこともある。
しかし、二度の交通事故、二度の「入院」による関係の断絶、そして繰り返される二人の偶然の出会い(一度目はチュンサンとして、二度目はミニョンとして、三度目はチュンサンとして、四度目は…)という「これでもか」とたたみかけるような「同一情景再帰の手法」の前にウチダはなすすべもなく、ただ滂沱の涙で応じるばかりだったのである。
ラストシーンで私はまた泣いた。
必ずや二人は偶然の糸に導かれてまた会ってしまうに違いないと知りつつ、その偶然の糸をウチダは「作為」ではなく「宿命」と呼びたくて、「宿命」の甘美さに、泣いた。
わかっちゃいるけどやめられない的に泣いた。
この確信犯的な「宿命の乱れ撃ち」に、条理をもって抗することは不可能である。
なんとでも言うがよろしい。
私はDVDを買うことにした。
おそらくこれから先、心が凍てつく夜が訪れる度に、私は「予定調和的な宿命」というドラマの不条理に「やっぱ人生って、こうじゃなくちゃ」と深く頷きつつ、熱い涙を注ぎ続けるであろう。

と書いたそのあとに『僕の彼女を紹介します』も同じ話でした、というご報告を頂いたので、さっそく見る。
同じ話であった・・・

投稿者 uchida : 2005年05月03日 19:49

コメント

初めてコメントします。
私はこの3年ほど、仕事柄、ブームも相まって、
かなりの量の韓国ドラマ、および映画を見てきたのですが、
「韓国ドラマは「宿命論」」。おっしゃる通りと思います。
でもさらに言うと、韓国人の「ハン」という概念と、
とても関係が深いのではないでしょうか。

「ハン」=恨みとか、業(ごう)というふうに、
日本語では訳されますが、
正式な訳語は日本にはありません。それはつまり、
韓国人特有のメンタリティーだということ。
映画「シルミド」のカン・ウソク監督に取材をしたときに、
「ハン」についてうかがったところ、
韓国には、長い間(百済とか、そのくらいの時代)
虐げられてきた歴史があることとも関係があるとか。
さらに監督は「ハンは、ドラマを生む。(韓国人は)みんな、
そういうドラマを見たいと思っている。
だからこれからもどんどん、私はハンをテーマに
ドラマを作っていく」とおっしゃっていました。

そしてさらに、私個人として、「ハン」は、
私の大学の教授による卒業式のはなむけの挨拶にも出てきて、
ずっとひっかかっている言葉のひとつです。
「死ぬ間際に、「ああしておけばよかった。」
と思い返す人があるかと思えば、
「ああ、いい人生だった」と満足して死ぬ人もいる。
ハンとは、「ああしておけば」の感情のことで、
これからの人生の中で、ハンという言葉が、
どういうふうに響くのか。
この言葉を忘れないでほしい。」
と。だいたいこんな内容でした。
私は律儀に忘れていないのですが。
「ハン」は韓国、および韓国人を語る上で
欠かせない言葉だと思うし、
とても興味深い感覚だと思います。

投稿者 よほほい [TypeKey Profile Page] : 2006年02月14日 17:28

偶然迷い込んだので、私も一言。

「冬のソナタ」が中高年女性に受ける理由について。
私見では、世間で言うような「いまどき珍しい純愛に感動して」ではない。

秘密を解く鍵は第1回目にある。
そこでは昔懐かしい60年代日本の学園風景がひろがる。女子生徒の(チェックのスカートではない)制服・男子生徒の学生服・始業時の「起立・礼」の挨拶風景・職員室・廊下....。懐かしさに涙がこぼれそう。

ここで、中高年女性視聴者は「これは私の物語だ!本当は私が出会うはずだった人が此処にいる」と思う(もちろん、さすがに、密かに)。そして、ドラマの視聴者という立場を忘れ、物語世界に時空間を超えて移動する。

以後、毎回のドラマ視聴は鏡に映る自分にうっとりするのと同じ意味(効果)を持つ。なにしろ美しいユジンは、あのころの「私」なのだから(!)。

ドラマはあっという間に「10年後」となって、カメラは豊かな現代韓国社会の風俗を描くが、それでも「私の物語」から、おばさんは目覚めない。人間の感覚というのは自己防衛的にできているようだ。都合の悪いことは目を開けていても見えない。

子供世代の90年代の恋愛物語だとは毫も考えない。あくまで「70年代の私の物語」なのだ。だって、ほら、あそこに仲の良かった◇◇クンも、◆◆ちゃんもちゃ~んといるじゃない ......。

「冬のソナタ」は、まだ自分が青春のまっただ中にいると保証してくれ、うっかりつかみ損ねた恋をハイと手渡してくれる奇跡の装置なのだ。「純愛だから云々」は見当違いの解説というべし。

投稿者 haruhi [TypeKey Profile Page] : 2006年09月17日 01:41

コメントしてください

サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


情報を登録する?