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2004年5月 アーカイブ

2004年5月12日

ツイ・ハーク、どしたの?

『天空の剣』The Legend of Zu by Tsui Hark: Ekin Cheng,Cecilia Cheng,Louis Koo,Kelly Lin, Zhang Ziyi)

☆ひとつというのは、珍しい。
ツイ・ハーク+チャン・ツィイーだから、けっこう期待して見たんだけれど・・・
編集、でたらめ。
どこかで仕事を投げたという感じがありあり。
ツイ・ハーク、どうしちゃったのかな。「香港のスピルバーグ」と言われた時期もあったのに。
全体に最近、香港映画活力なくなったな。韓国映画と中国映画に押しまくられて。
香港そのものがもう政治的にも経済的にも「終わり」なのかもしれない。気の毒だけど。

2004年5月17日

アリソンちゃんの若作りとオーウェン君のバリトンについて

『マッチ・スティック・メン』(Match Stick Men by Ridley Scot: Nicolas Cage, Sam Rockwell, Alison Lohman)

☆ ☆☆☆☆ 

おお、ひさしぶりの五つ星だ。
リドリー・スコット+ニコラス・ケイジの組み合わせって、はじめてじゃないかな。たぶん。これは「食い合わせ」がよかった。
ニコラス・ケイジの「潔癖症・広場恐怖症」のチックの詐欺師という設定が絶妙。こういう役を演じて、オープニングからいきなり観客の共感を得られる俳優って、ニコラス・ケイジしかいないよな。
びっくりは14歳の少女を演じたアリソン・ローマンちゃん。なんとこのとき実年齢は24歳。
アリソンちゃんのフィルモグラフィーをみたら、映画デビューは『風の谷のナウシカ』のアメリカ公開英語版の「ナウシカの声」でした。
かわいいぞ。

『シャンハイ・ナイト』 (Shanghai Knights by David Dobkin: Jackie Chan & Owen Wilson & Donnie Yen!)

☆☆☆☆

『シャンハイ・ヌーン』に続く「駄洒落タイトルシリーズ」第二弾。「お昼」の次は「夜」じゃなくて「騎士」なのね。
ジャッキー&オーウェンのでこぼこコンビ、今回も絶好調で、これはもしかするとビング・クロスビー&ボブ・ホープ、ジェリー・ルイス&ディーン・マーチン以来のひさしぶりの「コンビ映画」の名シリーズになる可能性がある。
ジャッキー・チェンは相手役を立てて、自分の「引きどころ」を知っているたいへんにクレバーなスターであるが、彼が最近パートナーとして選んだ『ラッシュアワー』シリーズのクリス・タッカーと『シャンハイ』シリーズのオーウェン・ウィルソンを比べると、オーウェンくんの方がどうやら「相性がいい」ようである。
これはNGシーンにちょっと出てくる、オーウェンくんの「素」からにじみでる「人の良さ」の手柄である。
それに、オーウェンくんはなによりも「声」がよい(クリス・タッカーの声はほとんど「拷問」だけど)。
画面で何も事件が起きなくても、彼の声を聞いているだけで、ハッピーな気分になるほど、よい声である。
これほど声のよいハリウッド・スターはハリソン・フォード以来かも知れない。
そういえば、伝説的な先の二つのコンビでも、「ハンサム」役の二人(ビング・クロスビーとディーン・マーチン)もすごく響きのよいバリトンであった。
なるほど、コメディが成功するには「クルーナー・タイプ」のバリトンが必需品だったんだ。
植木等がそうだし。

2004年5月25日

Rockers!

『Rockers』(by陣内孝則:中村俊介、玉木宏、岡田義徳、佐藤隆太、塚本高史、上原美佐、玉山鉄二)

☆ ☆☆☆

いやー、面白かった。これはオススメ。
陣内孝則、初監督作品ながら、「ロック少年サクセスもの」の定型とツボをみごとにおさえたナイスな演出。「お約束」通りに物語がすらすらすいすい進行するグルーヴ感が心地よい。
主演の二人が甲乙つけがたくチャーミング。敵役の「セクシー桜井」玉山鉄二もよい味。なにより、大杉漣の劇中歌『恋の確定申告』の「ください愛の還付金。かぼちゃは英語でパンプキン」というリフレインがいつまでも心に残る。
『青春デンデケデケデケ』(大林宣彦)とともに、「バンド少年」賛歌の佳作として語り継がれることでありましょう。

2004年5月26日

Passion!

ひさしぶりに松下正己くんから投稿です(2週間前に投稿してくれたんだけれど、アップするのを忘れてました。松下くん、ごめんね)

 世界的に何かと話題になっている『パッション』を観てまいりました。
 イエス最後の12時間を描いたというこの作品の「見どころ」は、何といってもローマ兵によるイエスの拷問と、十字架を担いでのイエスの道行きでしょう。このシークェンスの長いこと長いこと。その後、ゴルゴタの丘に着いてから十字架にかけられるまでの手順も、執拗に描写されます。
 あまりにもバランスを欠いたこの構成は、一体何なのでしょうか。大工時代のイエス、山上の垂訓、マグダラのマリアの挿話、最後の晩餐などは、イエスの回想という不自然なかたちで、ほんの僅かのショットしか出てきません。
 鈎爪のついた鎖状の鞭によって、イエスの身体がぼろぼろになっていく過程を観続けることは、確かに信者にとってはショッキングな体験といえるでしょう。イエスが原罪の全てを引き受けているまさしくその場に立ち会っているようなものなのですから。そして、イエスに対するこの惨い仕打ちは、まだまだ延々と続くのです。
 しかしそのイエスは「神の子」として、非キリスト教徒に対しての一切の感情移入と投射=同一化を拒否し続けます。非キリスト教徒の観客は、ただこの暴力を傍観するしかなく、同一化の対象は、ごく自然に母マリアの方に移ります。
 マリアの、十字架にかけられるわが子に対する感情の激しさは、圧倒的にリアルです。地面に広がる拷問を受けたイエスの血の跡を拭く姿、十字架の道行きを必死に追いかける姿、ゴルゴタの丘でわが子の苦悶する様子を小石を両手一杯に握りしめつつ凝視する姿、そして、十字架から降ろされたイエスの傍らで私たち観客に視線を向けたまま身じろぎもしないマリアの姿に、私たちは圧倒されてしまいます。
 数々の奇跡を起こし、最後には復活してしまう(常人ではない)イエスではなく、感情に満ちあふれたマリアこそが、この映画の主人公だといえるでしょう。
 そしてこのマリアは、紀元431年エフェソの公会議で崇拝の対象と定められた「神の運び手」でもなければ、1854年、時の教皇ピウス九世によって原罪から解放された「聖母」でもなく、貶められ暴行された上で殺害されるわが子を、成す術もなく見守ることしかできない、ひとりの母親としてのマリアなのです。
 今日に至るまで、ファティマを始め世界中で目撃されている聖母マリアは、その実在性すら疑わしいのですが、この映画のマリアは、確かに(私たち観客と共に)映画内世界を生きていたように思われます。

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