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ボーン・アルティメイタム

『ボーン・アルティメイタム』(監督:ポール:グリーングラス、出演:マット・デイモン、デヴィッド・ストラザーン)

 トレイ・パーカーとマット・ストーンの『サウスパーク』はアメリカのあらゆる種類の「正しさ」を絨毯爆撃的に粉砕する痛快お下劣アニメですけれど、私は『サウス・パーク』を見るたびに「このようなものを日本で作ることは絶対に不可能だろうな」と思います。
アメリカ人はよその国に兵隊を送って、都市を焼き払い、非戦闘員を殺すようなことを大まじめに「正義と民主主義」の名においてやっておきながら、同時にそんなアメリカ人の暴力性と自己中心性を抉り出すようなブラックな物語を商業的に成功させるマーケットを持っています。アメリカの知性はタフだなあ・・・とつくづく感心します。
 殺人機械ジェイソン・ボーンの「自分探し」の旅をテーマにした『ボーン』シリーズ(『ボーン・アイデンティティ』、『ボーン・シュプレマシー』)もこの三作目で完結。悪の黒幕は(やっぱり)CIAです。『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターの「理想の上司」ジャック・クロフォードを鮮やかに演じていたスコット・グレンが今回はワルモノCIA長官エズラ・クレイマーを演じます。この二人は説話的には「同一人物」と見なしてよろしいでしょう(コンプライアンスの感覚がちょっと麻痺しちゃったクロフォード捜査官が勇み足で「アメリカの敵はみんな暗殺」部隊の元締めになる・・・という流れはアメリカ的には「いかにもありそう」なことですから)。
 それにしてもハリウッド映画は「アメリカの敵は(議会の承認抜きで、できれば大統領の承認も抜きで)みんな暗殺」しちゃう組織という設定が好きですね(『スウォードフィッシュ』の裏FBIもそうでした)。きっとこれはアメリカ人にとってのある種のダークな「夢」なんでしょう。
これらの映画群はそのようなワルモノ組織が最後に主人公の必死の戦いで破滅するという話型に落とし込むことによって、「アメリカ的正義のフリーハンドな実現」という幼児の欲望と「そういうことはしちゃダメなんですよ」という成人の抑制を同時に表現しているのです(たぶん)。
主人公のジェイソン・ボーン君は彼自身のうちに「殺人に快感を覚えるクレイジーな人格」と「殺人を否定するノーマルな人格」の二人を解離的な仕方で抱え込んでいます。この映画がアメリカで歴史的なヒット作になったのは、このボーン君の分裂のありようのうちに多くのアメリカ人が彼ら自身の分裂を感じ取ったからなのでしょう。

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2007年10月24日 22:31に投稿されたエントリーのページです。

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