« ミリオンダラー・ベイビー | メイン | 冬のソナタにただ涙 »

コンスタンティン

『コンスタンティン』(Constantine by Francis Lawrence: Keanu Reeves, Rachel Weisz)

☆☆☆+

「ぜんぜん似てない何か」に似ているなと思ったら、村上春樹の『アフターダーク』と
「まったく同じ話」であることに気がつきました。

村上春樹のすべての長編小説作品を貫く基本的な構図は『1973年のピンボール』にすでに予示されています。
私たちの世界にはときどき「猫の手を万力で潰すような邪悪なもの」が入り込んできて、愛する人たちを拉致してゆくことがある。だから、愛する人たちがその「超越的に邪悪なもの」に損なわれないように、境界線を見守る「センチネル(歩哨)」が存在しなければならない…というのが村上春樹の長編の変ることのない構図です(ご存じなかったですか?)。

『コンスタンティン』は『アフターダーク』と同じく「センチネル」をめぐるお話です。
二人の「センチネル」(『アフターダーク』ではタカハシくんとカオルさん、『コンスタンティン』ではコンスタンティンとアンジェラ)が、「邪悪なもの」の領域へと滑落する境界線ぎりぎりまで来てしまった「若い女の子」を「底なしの闇」から押し戻します。「センチネル」たちのささやかな努力のおかげで、いくつかの破綻が致命的になる前につくろわれ、世界はいっときの均衡を回復することになります。

「センチネル」たちの仕事は、わりと単純です。それを『ダンス・ダンス・ダンス』で、村上春樹は「文化的雪かき」と呼んでいました。
誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとでどこかでほかの誰かが困るようなことは、特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。そういうささやかな「雪かき仕事」を黙々とつみかさねることでしか「邪悪なもの」がこの世界に浸潤することを食い止めることはできない。

そうなんです。

実は、私たちの平凡で変化のない日常生活そのものが、気づかないうちに「世界の運命」に結びつけられ、世界の運命を決しています。そのことを実感するからこそ、村上春樹の小説の中の「センチネル」たちは、家を掃除したり、アイロンかけをしたり、パンの耳をきちんと切り落としたハムサンドを作ったりします(そういった「ささやかだけれどたいせつなこと」への気づかいだけが「異界からの邪悪な侵入者」を食い止める命がけの仕事を最終的に支えていることを彼らは知っているんです)。

『コンスタンティン』のラストで、コンスタンティン(キアヌ・リーブス)は「煙草」をやめて「ガム」を選択します。たぶん「一秒でも長生きしたい」と生まれてはじめて思ったからです。「一秒の命」という「ささやか」なものの「たいせつさ」を深く感じ始めたからです。コンスタンティンはこのあと「以前よりもっと優秀なセンチネル」になったに違いありません。

『アフターダーク』をまだ読んでない人は、読んでから行くといいですよ。たぶん100人中97人くらいは「ぜんぜん『違う話』じゃないか!ウソつき!」と思うでしょうけど、「同じ話」であることに気づいた3人の上には神の豊かな祝福があることでしょう。

About

2005年5月 3日 19:46に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ミリオンダラー・ベイビー」です。

次の投稿は「冬のソナタにただ涙」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。