『パフューム』
監督:トム・ティクヴァ、出演:ベン・ウィショー、レイチェル・ハード=ウッド、アラン・リックマン、ダスティン・ホフマン
私は「これまで誰もやったことがないこと」を映画で実現したフィルムメーカーにはつねに高い評価を与えることにしています。『パフューム』は「これまで誰も映画ではやったことがないこと」を実現しました。
それは「匂いを映画の主題にすること」です。
映画は視覚と聴覚にしか訴えることができませんから、原理的には「匂い」を映画で伝えることは不可能です。では、トム・ティクヴァ監督はどうやって「匂い」を観客に感じさせたのでしょう。
一つは「手触り」を通じて。
主人公のグルヌイユ(ベン・ウィショー、若い頃のピエール・クレマンティにそっくり、素晴らしい)の両手が若い娘の素肌をゆっくり、舐めるように撫でさすって、掌に掬った水を味わうように、鼻孔に近づけ、鼻孔が画面一杯にアップになる場面があります。「ライムとオレンジとローズマリーとグローブを混ぜた匂い」なんて台詞で言われても、どんな匂いが素人には想像もつきませんが、若い女性の素肌の手触りとそこからたちのぼる芳香なら、記憶を総動員すれば、近似的な経験はできないことはありません。
『パフューム』はそんなふうに、観客自身が自分の感覚記憶のアーカイヴを探って、「身銭を切って」映画に踏み込んでゆかないと、映画のもたらす愉悦を十全には享受できないように仕掛けられています。
それともう一つ、「匂い」を映像的に示す効果的な方法があります。
「風」です。
映画では「匂いが立つ」という場面で何度かハンカチが用いられています。ハンカチを空に泳がせる。布の揺れが「空気の流れ」を表す。「風下」にいる人間の鼻孔がぴくりと動く。すると、そこに「匂いが立った」ということが映画的に表象される。この技法は調香師バルディーニ(ダスティン・ホフマン、快演)が映画の前半でたっぷり演じて「地ならし」をしておき、クライマックスシーンで、グルヌイユが壮大なスケールで再演します。
このクライマックスの「芳香になぎ倒されて、愛を感じる人々」のシーンはおそらく映画史上に残る名場面でしょう。パゾリーニやフェリーニが(草葉の陰から)この映画を見たら「ああ、私もこれがやりたかった!」と悔しがるに違いありません。
「パゾリーニとフェリーニが悔しがりそうな場面のある映画」というだけで必見でしょう、これは。