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バベル

バベル(監督・アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ 出演・ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、役所広司、菊池凜子)

 イニャリトゥ監督は『21グラム』(2003年)でショーン・ペン、ベネチオ・デル・トロ、ナオミ・ワッツというめちゃくちゃ濃い役者たちに思う存分演じさせるという「猛獣使い」の手際を見せた若き天才です。そのときは「名前が読めない!」(Iñárrituなんて読めませんよ)と「若い!」(1963年生まれ)にびっくりしました。次回作に熱く注目していたのですが、その期待にたがわぬ作品でした。
 「バベル」というのは、ご存じの通り、旧約聖書に出てくる話です。昔、人々は同じ言葉を話していました。そして煉瓦を積み上げて、天まで届くような塔を建設し始めました。そのとき主が下ってきます。「彼らが皆、一つの民、一つの言葉で、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようとしていることで、とどめられることはない。」そこで主は「彼らの言葉を混乱させ、彼らが互いに言葉が通じないようにした」のです。
不思議な物語ですね。主は人間たちが互いに言葉を通じ合うことではなく、言葉が通じ合わないことを望まれた。でも、どうしてなんでしょう。聖書を読む限りでは、人間は互いに言葉が通じないことではじめて「人間らしく」なれると主が考えたからです。なるほど。そういうものかも知れません。
 『バベル』では四つのエピソードが並行して描かれます。モロッコの山羊飼いの兄弟の物語、モロッコを旅する倦怠期の夫婦(ブラピとケイト・ブランシェット)の物語、サンディエゴに住むその夫婦の子どもたちとメキシコ人の乳母の物語、そして、山羊飼いの父親が買った猟銃のもともとの持ち主であった日本人(別所広司)とその聾唖の娘(菊池凛子)の物語。その四つの物語が因果の糸で絡み合います。
四つの物語に共通するのは、「言葉が通じない」(その国の言語が理解できない、電話が通じない、話が噛み合わない・・・などなどで「言いたいことがうまく伝わらない」)という状況です。けれども映画はそれを「克服すべき欠陥」として描き、最後に「みんな気持ちが通い合いました(ぱちぱち)」というハッピーエンドに落とし込むわけではありません。逆です。最後まで話はうまく通じない。でも、話が通じないからこそ、人間たちはその乗り越えがたい距離を隔てたまま、向き合い、見つめ合うことを止めることができません。言葉が通じないことがむしろ出会いたいという欲望を亢進させるのです。
「あなたの言いたいことはよくわかった」という宣言は「だから、私の前から消えてよろしい」という拒絶の意思を含意しています。私たちはむしろ「あなたの言いたいことがよくわからない。だから、あなたのそばにいたい」という言葉を待ち望んでいるのです。菊池凜子さんの切ないまなざしにはその思いが溢れておりました。

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2007年10月 3日 19:02に投稿されたエントリーのページです。

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