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晩春

宴会あけの昨日はさすがに頭がパーになっていて、むずかしいことは何も考えられないので、『晩春』を見て(いったい何回目であろうか・・・)、杉村春子と笠智衆の「そりゃ、食うよ」「そうかしら」「そりゃ食うよ」「そうかしら」「食うよ」というところでげらげらと床を転げ回って笑う。
どうして、こんなに可笑しいのであろうか。

チャンネルを換えたら『寅さん』をやっていて、笠智衆がここでも「御前様」で登場していた。
笠智衆は1904年生まれであるから、『晩春』の時(1949年)には45歳である。このとき役の年齢は56歳。
『東京物語』(1952年)のときは48歳であったが、80歳にしか見えなかった(名越先生によると、老人性のパーキンソン氏患者特有の身体の震えまで演じていたそうである)。
それから40年経ってもまだ『寅さん』で80歳の役をやっているのである。
まことに稀代の名優である。
 
つねづね申し上げているように、『晩春』の曽宮周吉教授は、私の若年からのロールモデルであった。
「いつか、あんなじじいになりたい」と強く念じていたのであるが、強く念じることは実現するというお師匠さまのお言葉通り、ちゃんと娘も巣立って、晴れて一人おぼつかない手つきでリンゴの皮をむく独居老人となった。

曽宮教授と違うところは、能楽鑑賞の度が過ぎて、仕舞や謡曲までうなるようになったということと、行きつけの店が「多喜川」ではなくRe-setであるということ(ついでに愛飲するのが熱燗ではなく、冷たい白ワインであること)、あとは相変わらず原稿書きに追われ、学内でもさしたる地位になく、友人と酌み交わしてはよしなき話に興じ、若い女の子が遊びに来るといそいそとご飯を作り、ときどき麻雀をやりたくなるが相手がいないという点もまるで変わらない。

できれば死ぬ前にるんちゃんの花嫁姿を見たいけれど(ついでに「婿どの」に長説教をかましたいが)、まあ、それはそれで先方のご事情もあることだし、あまり差し出がましいことは望むまい。

そのうち『父ありき』か『戸田家の兄妹』のお父さんみたいに、「ああ、いい気分だ」と言っているうちに酔生夢死の境でころんと死ねるはずである。

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2004年3月14日 10:38に投稿されたエントリーのページです。

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