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これは必見『ヴァイブレータ』

『ヴァイブレータ』(廣木隆一監督:寺島しのぶ、大森南朋)
☆☆☆+
井筒和幸監督の『ゲロッパ』を見ていたら、寺島しのぶが個人タクシーの運転手役でワンシーンだけ出てきた。
メロンを見てしくしく泣くだけの芝居なのだけれど、あまりにかわいいので、さっそく『ヴァイブレータ』を借りてきた。
こ、これはすごい。
橋本治先生の『蝶のゆくえ』を読んでいるところなのだけれど、この中に出てくる、どんな役でもこの人なら演じられそうである。
橋本先生は女を描かせると、これほどすごい人はいないというくらいにすごい。
ではその一節
「女達は、みんな自分の中に『女』というものを押し殺している。全開にして、押し殺しているつもりなどないのに、どういうわけだか、解き放つのに失敗をしている。だから、ブザマにも『押し殺す』という結果になってしまう。アオイはそれをよく知っている。『生臭い』などということは他人に気づかれるはずもないことなのに、自分で一番先に気づいてしまう。
 だから、突然剥き出しになってしまうのだ、とアオイは思う。周りの女達の変化を見ていると、どうしてもそうだとしか思えない。
 通りのいい『それまでの自分』に飽き足りなくなって、突然に『自分』という衣装を脱ぎ捨ててしまう。『どうせ女は女なんだから、それまでの”未熟な自分”という女を脱ぎ捨てたって、その後は”成熟した自分”という新しい女が姿を現すだろう』と思って。でもあいにく、『それまでの自分』を脱ぎ捨てた後に登場するものは、妙にドロドロした何かか、妙に硬直した何かだ。」(「ほおずき」)

女たちは、ときどき社会的な演技に飽き飽きして、衝動的に「それまでの自分」を脱ぎ捨てる。
たぶん「ほんとうの自分」とか「ナチュラル・ウーマン」とか、そういう予定調和的なものの出現が期待されているから。
でも、そのときに出現するのは、たぶんその女自身もそんなものが出現するとは思ってもみなかったような種類の「異物」なのである。
『ヴァイブレータ』の作り手である男たちは、「ほんとうの自分」の出現という合理的なドラマを期待してたぶんこの映画を作った。
でも寺島しのぶは台本通りに「脱ぎ捨てた」あとに、みごとに「妙にドロドロした」り、「妙に硬直した」りしている「何か」になってしまった。
それは女でもないし、幼児でもないし、獣でもない、なんだかめちゃくちゃへんてこなものだ。
へんてこな異物なんだけれど、私には既視感がある。
だから、映画を見て、すごいねーと感心してしまった。
ある意味、この人人生投げたんだなと思った。
でも市川染五郎に捨てられたくらいで、こんなにすごくなるはずないから、きっと、もともとすごい人だったんだろう。
源義経と「緋牡丹お龍」の子どもだしね。

PS・大森くんも、しのぶちゃんに負けない怪演。「焼酎だけど飲む?」「こっちくる?」というあたりの「ものわかりがいい」のか「責任取るのが徹底的に嫌い」なのかのあわいのところがたいへんみごとでありました。

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2004年12月10日 20:48に投稿されたエントリーのページです。

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