☆☆☆+1/2
『きみに読む物語』(The Notebook, 2004 by Nick Cassavetes : Ryan Gosling, Rachel McAdams, Gena Rowlands, James Garner)
アメリカで大ヒット。『マディソン郡の橋』を抜いて、恋愛映画の歴代興収第二位(ところで歴代一位は何だと思います?『めぐり逢えたら』ですって。でも、こんな題名じゃどんな映画だか誰も思い出せませんね。『シアトルの不眠男』(Sleepless in Seattle) でいいじゃないですか。「あ、トム・ハンクスがメグ・ライアンとエンパイアー・ステートビルで会うやつね?」そうそう、あれです)。
閑話休題。でも『めぐり逢えたら』や『マディソン郡』とこの映画を比べて論じたいんじゃないんです。私がこの映画を見て思い出したのは『ビッグ・フィッシュ』と『シービスケット』でした。
そこでみなさんに質問です。この三本の映画に共通しているものは何でしょう?
「昔の話?」
そう。それが第一点ですね。髪の毛をポマードでなでつけて、帽子をとるとぱらりと前髪が垂れるゆったりしたスーツ姿の男たち。やっぱり帽子をかぶってふくらはぎまで隠れるぴったりしたスカートをはいた赤い口紅の淑女たち。そして顔が映るほど磨き上げられた40―50年代の悦楽的なラインのスポーツカー…アメリカの観客がいまいちばん見たがっているのは、「あの時代」の風景なんですね。
あと何でしょう、三作品の共通点。
「田舎の話?」
ピンポン。都会のシーンがほとんど神経症的に削除されているんですね、これらの作品では。ここにはコンピュータも、テレビも、地下鉄も、ラッシュアワーも、摩天楼も出てきません。その代わりにあふれるほど美しく生き生きとした自然がたんねんにフィルムに焼き付けられています。
そうなんですよ。アメリカの観客が今いちばん見たがっているのは、「1930-50年代くらいの時代背景」「アメリカの田園(できたら南部諸州のどこか)」で展開する「純愛物語」なんです。
純愛が純愛であるためには条件が必要です。それは「身分違いの恋」、「逆らうことのできない親の命令」、「不治の病」。ここに「記憶喪失」が加われば完璧(そう、『きみに読む物語』はハリウッド版の韓流TVドラマだったんです。これはびっくり)。
でも、私がもうひとつ気になったのは、ハリウッドがニューヨークとロサンゼルスを映画の舞台にするのを止めて、アメリカの理想的なライフスタイルの原点を「ブッシュの支持層」が集住しているエリアに求め始めたことです。この傾向はこれからさらに加速するであろうと私は予測しています。
ですから、ハリウッドの辣腕プロデューサーは必ずや近々「1950年末の、アメリカの南部で、権威的な親と葛藤しつつ、身分違いの恋に身を灼くナーバスな若者」を描いた映画を撮るはずです(あら、『エデンの東』をリメイクすればいいんじゃないですか)。