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『Vフォー・ヴェンデッタ』

(監督:ジェイズ・マクティーグ、脚本:アンディ&ラリー・ウォシャウスキー、出演:ナタリー・ポートマン、ヒューゴ・ウィービング、スティーブン・レイ、ジョン・ハート)

ご承知の方も多いと思いますが、この映画は去年のロンドンの地下鉄バスの連続爆破事件のせいで公開延期になりました。なにしろ地下鉄車両に積まれた爆弾でウェストミンスター宮殿を爆発させようとするテロリストがヒーローという話なんですから、テロ直後の公開は無理です。ようやく公開の運びとなってよかったですね。
 タイトルから内容を推測するのは絶望的に困難ですが、「ヴェンデッタ」はイタリア語で「家族ぐるみの仇討ち」のことです。『ゴッドファーザー・パート2』で、ヴィトー・コルレオーネが故郷のシシリアに戻り、かつて父と母と兄を殺したドン・チッチオの腹にナイフを突き刺す、あれが「ヴェンデッタ」。
この映画での復讐者はV(ヴィー)と名乗る仮面の男。ですから、『復讐鬼V』というような邦題を想像してご覧いただくとよろしいかと思います。その仮面の復讐鬼が独裁者サトラー(もちろんサッチャーとヒトラーという二つの名前からのパロディですね)の支配する暗黒の近未来イギリスで、言論・集会結社の自由のために民衆を率いて立ち上がるというたいへん「政治的に正しい」映画です。
 ストーリーラインはジョージ・オーウェルの『1984』から、圧制下の民衆たちの暗い生活はフリッツ・ラングの『メトロポリス』とトリュフォーの『華氏451度』から、民衆蜂起のシーンはジッロ・ポンテコルヴォの『アルジェの戦い』から・・・と映画からの引用は無数ですけれども、ストーリーの骨格をなしているのは意外にも『モンテクリスト伯』と『紅はこべ』という「革命エンターテイメント」の古典です。テロリストにしては、Vの雰囲気がなんとなくおっとりしているのは、主人公が「動乱の渦中における騎士的ふるまい」にこだわりがあるせいです(その点ではVは「卑しい街の騎士」フィリップ・マーロウに似ていないもありません)。
Vはもちろんハリウッド・ヒーローですからアクションでも強いのですが、彼の武器はむしろ知謀と教養です。Vが「巻き込まれ型ヒロイン」イヴィー(ナタリー・ポートマン)をテロリスト仲間に引き入れるのに成功するのは、その趣味のよさ(特にジャズの選曲)とシェークスピアをツボにはまったタイミングで引用してみせる教養の深さによってなんですが、最大の魅力は声。
Vを演じているのは最後まで一度も仮面を取らないヒューゴ・ウィービング(『マトリックス』のエージェント・スミス)。彼はものすごく声がよいんですね。『マトリックス』の冒頭で黒塗りの車から降りてきたエージェント・スミスが「警部補、特別指令(スペシフック・オーダー)を受け取ったはずだが」という最初の台詞で、ヒューゴ・ウィービングは「スペシフィック・オーダー」の「スペ」と「シフィック」の間を区切って発音します。俳優の声にこだわる観客はこの最初の台詞で「むむ、おぬし、やるな」と身構えたはずです(私は身構えました)。ヒューゴ・ウィービングは人間の発するどのような音韻が浸透性を持つか(つまり、内容にかかわらず身体にしみこんで、説得されてしまうか)を熟知しているようです。
 この映画はいろいろな見方で楽しめますが、私はストーリーもナタリー・ポートマンのかわいさも二の次で、Vの深みのあるバリトンに身を委ねるという悦楽的な仕方で132分を過ごしました。ものすごくいい気分でした。

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2006年12月31日 19:22に投稿されたエントリーのページです。

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