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硫黄島からの手紙

(監督:クリント・イーストウッド、出演:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、中村獅童)

 先月、同じクリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』をこのコラムで取り上げました。その第二部を続けて取り上げることになります。それだけ重要な仕事をクリント・イーストウッドはこの二作を通じて成し遂げたということです。
 「よいニュースと悪いニュースがある。どちらを先に聴きたいか?」と問いかける、という場面にハリウッド映画ではよくお目にかかります。「悪い方から」と答えるのが映画の定法ですから、ここも悪い方から。
「悪いニュース」はこの映画が日本ではなくアメリカのフィルムメーカーによって作られたということです。硫黄島で死んだ二万人の兵士を鎮魂する映画はどう考えても日本人が自力で作るべき映画でした。にもかかわらず、日本には戦後60年間それだけの志と力量のあるフィルムメーカーが出てこなかった。
この映画の中で私たちは「天皇陛下万歳」と「靖国で会おう」という常套句に何度か遭遇します。これまで見たどのような戦争映画でも、私はこのようなイデオロギー的言明に悪寒以外のものを感じたことがありません。けれども、この映画においては、私はその言葉に不覚にも目頭が熱くなりました。間違いなく多くの日本の兵士たちは死に際して、最後の希望をその言葉に託したのですから。その動かしがたい事実が淡々と、どのような判断も込めずに、ただ記述的な仕方で示されているときに、「そのような言葉を口にすべきではなかった」というようなあと知恵の政治的判断はほとんど力を持ちません。
このことがどれほどの力業であるかを理解したければ、日本人のフィルムメーカーが「アメリカの兵士たちが日本軍と戦って死ぬ映画」を作って、そのアメリカ人兵士たちのたたずまいの描き方の精密さがアメリカの観客たちを感動させるという事態を想像してみればよろしい(私には想像できません)。
一方、「よいニュース」もあります。それは日本人であれアメリカ人であれ、誰が営んでも喪の儀礼は喪の儀礼として呪鎮の機能を果たすということです。戦後60年間、日本人のほとんどの記憶から忘れ去られようとしていた硫黄島の死者たちの霊はこの映画によって少なからぬ慰めを得たと私は思います。
大岡昇平は「死んだ兵士たちに」捧げたその『レイテ戦記』にこう書き記しています。「私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。七五ミリ野砲の砲声と三八銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る唯一つのことだからである。」
『レイテ戦記』を読んだときに、この島の絶望的な防衛戦を映像的に再現することは不可能だろうと思いました。でも、『硫黄島からの手紙』を見て、おのれの短見を恥じました。クリント・イーストウッドはおそらく大岡昇平の名前を知らないでしょうけれど、大岡がレイテ島の死者たちのために採用した慰霊の語法については全幅の同意を示して、「私が硫黄島の死者たちのために用いたのはまさにそれなのです」と答えるはずです。

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2006年12月31日 19:30に投稿されたエントリーのページです。

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