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2004年12月 アーカイブ

2004年12月10日

これは必見『ヴァイブレータ』

『ヴァイブレータ』(廣木隆一監督:寺島しのぶ、大森南朋)
☆☆☆+
井筒和幸監督の『ゲロッパ』を見ていたら、寺島しのぶが個人タクシーの運転手役でワンシーンだけ出てきた。
メロンを見てしくしく泣くだけの芝居なのだけれど、あまりにかわいいので、さっそく『ヴァイブレータ』を借りてきた。
こ、これはすごい。
橋本治先生の『蝶のゆくえ』を読んでいるところなのだけれど、この中に出てくる、どんな役でもこの人なら演じられそうである。
橋本先生は女を描かせると、これほどすごい人はいないというくらいにすごい。
ではその一節
「女達は、みんな自分の中に『女』というものを押し殺している。全開にして、押し殺しているつもりなどないのに、どういうわけだか、解き放つのに失敗をしている。だから、ブザマにも『押し殺す』という結果になってしまう。アオイはそれをよく知っている。『生臭い』などということは他人に気づかれるはずもないことなのに、自分で一番先に気づいてしまう。
 だから、突然剥き出しになってしまうのだ、とアオイは思う。周りの女達の変化を見ていると、どうしてもそうだとしか思えない。
 通りのいい『それまでの自分』に飽き足りなくなって、突然に『自分』という衣装を脱ぎ捨ててしまう。『どうせ女は女なんだから、それまでの”未熟な自分”という女を脱ぎ捨てたって、その後は”成熟した自分”という新しい女が姿を現すだろう』と思って。でもあいにく、『それまでの自分』を脱ぎ捨てた後に登場するものは、妙にドロドロした何かか、妙に硬直した何かだ。」(「ほおずき」)

女たちは、ときどき社会的な演技に飽き飽きして、衝動的に「それまでの自分」を脱ぎ捨てる。
たぶん「ほんとうの自分」とか「ナチュラル・ウーマン」とか、そういう予定調和的なものの出現が期待されているから。
でも、そのときに出現するのは、たぶんその女自身もそんなものが出現するとは思ってもみなかったような種類の「異物」なのである。
『ヴァイブレータ』の作り手である男たちは、「ほんとうの自分」の出現という合理的なドラマを期待してたぶんこの映画を作った。
でも寺島しのぶは台本通りに「脱ぎ捨てた」あとに、みごとに「妙にドロドロした」り、「妙に硬直した」りしている「何か」になってしまった。
それは女でもないし、幼児でもないし、獣でもない、なんだかめちゃくちゃへんてこなものだ。
へんてこな異物なんだけれど、私には既視感がある。
だから、映画を見て、すごいねーと感心してしまった。
ある意味、この人人生投げたんだなと思った。
でも市川染五郎に捨てられたくらいで、こんなにすごくなるはずないから、きっと、もともとすごい人だったんだろう。
源義経と「緋牡丹お龍」の子どもだしね。

PS・大森くんも、しのぶちゃんに負けない怪演。「焼酎だけど飲む?」「こっちくる?」というあたりの「ものわかりがいい」のか「責任取るのが徹底的に嫌い」なのかのあわいのところがたいへんみごとでありました。

カンヌ審査員長タランティーノさまの趣味

『オールドボーイ』(パク・チャヌク監督、チェ・ミンシク、ユ・ジテ、カン・ヘジョン)
 ☆☆☆☆

カンヌグランプリ受賞作。パルムドールに『華氏911』、グランプリに『オールドボーイ』を選んだということから、タランティーノの審査基準がどのようなものであるか、何となく分かったような気がした。
それは画面の中で何か起こりつつあるかを一望俯瞰する「神の視点」に立つことを観客に決して許さないということである。
『華氏911』で、WTCビルに航空機が衝突する場面は、音声だけで画面は空白のままだ。私たちには悲鳴と轟音しか聴き取れない。そのような音声情報がどれほど集積されても、私たちそこで何が起きているのかを「知る」ことはできない。ただ、その「把持不能な圧倒的リアリティ」の一部に触れるだけである。
逆に、ジョージ・W・ブッシュがSPにテロの報告を受ける場面では、小学校の教室で七分間にわたって呆然と絵本を見つめる大統領の映像(それは「小学生の視点から見た世界のわずかな断片」にすぎない)から、世界がどれほど危険な政治家にその未来を託しているのかを身にしみて思い知らされることになる。
ここから私たちが知るのは、映画が観客への情報提供を自制すると、その分だけ観客は映画に深くコミットせざるを得ないという事実である。

『オールドボーイ』もこれに通じる「節度による衝撃」という戦略によって貫かれている。
観客は主人公の男(チェ・ミンシク)の身に何か起こったのか、何が起こりつつあるのかを彼と同じだけしか知らされない。にやけた男(ユ・ジテ)の異様な余裕も、美少女(カン・ヘジョン)から寄せられる法外な好意も、私たちにはその意味がわからない。そして、意味がわかったとき、私たちはもう身をよじっても、主人公が味わう絶望の一部分を共感することを免れられない。

映画は見るものではなく、生きるものだ。今年のカンヌでタランティーノはたぶんそう宣言したのである。

2004年12月14日

Lost in translation

ロスト・イン・トランスレーション(Lost in translation by Sophia Coppora: Bill Murray, Scarlet Johansson)
☆☆☆☆

でも、タイトルなんとかなりません?
最初聞いたときに「ロスト・インスタレーション」と聞き違えて、どこかの美術館から巨大なインスタレーション作品が盗まれる話かしら・・・と思ってしまった(ほんとに!)
たしかに訳しにくいタイトルではありますけどね。
「日本語でしゃべらナイト」とかさ、なんとか工夫してもよかったのではないでしょうか。

ビル・マーレーのサントリーウイスキーのCM、ほんとに放映してほしい。けっこういいもん、「サントオオリ・タイム」というのが「三通りタイム」に聞こえるのが難だけど。

はっぴいえんどの「風をあつめて」が映画のサントラに入っているらしいけれど、映画の中ではカラオケボックスでシロートが歌っている声が漏れ聞こえるだけ。これはやっぱりオリジナルをがんがんかけてほしかった。

あとは、ね。ビル・マーレーのCM撮影シーンがよかった。
「カット!カット!テンションあげてよ」というバカなCMディレクターと「ドウーユーノウ、フランクシナトラ?」というバカなカメラマンが最高。
日本の宣伝業界というのがどれほどバカかよくわかる。
藤井隆のマシューも怪演。『サタデーナイト』出身のビル・マーレー相手に、これだけバカな芝居ができるコメディアンはなかなかいない。
ソフィア・コッポラがどうやってこんなバカ役者たちをみごとにキャスティングできたのか、それがほんとに不思議である。
スカーレット・ヨハンソンも悪くないです。ふつうっぽくて。

21グラム

21グラム(21grams by Alejandro Gonzalez Inarritu: Sean Penn, Benicio del Toro, Naomi Watts)

☆ ☆☆☆

これはまた才能のある若手監督が登場したものである。名前なんと読むのかわかんないけど、このアレジャンドロ・ゴンザレスうんたらかんたら監督はまだ41歳。映画はこれが四本目という新人であるが、その豪腕はたいしたものである。
「不良おっさん」ショーン・ペンと「スパニッシュ・ブラッド・ピット」ベニチオ・デル・トロという「濃おおおおい」役者二人に思う存分芝居をさせて、それでいて完全に映画をコントロールしている。
この二人が出てきて、どうでもいい日常的なせりふを言ったり、ちょっとドアをあけたり、煙草を吸ったり、ご飯を食べたり・・・という場面だけで、もうある種の「映画的愉悦」に満たされてしまう。
人間というのは、人間を見ているだけで感動できるものなのだ。
つまらない映画がつまらないのは、映画の中に人間がいないからである。
ということがこの映画を見るとよくわかる。
それにつけてもナオミ・ワッツは『マルホランド・ドライブ』のときは清純派美少女を演じて私の胸をきゅんとさせたのであるが、その後『リンク』、『21グラム』と演技派志向的な「汚れ役」が続き、ちょっとこまったものである。
お願いだから、そんなに入れ込まないで。
ふつうの女の子のままでいいからさ。
ヒラリー・スワンクちゃんも気をつけるんだよ。

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